このエッセイは、23歳くらいの時に次回作制作のために様々な企業に「金だしてくれー!」とメールを毎日、とりつかれたようにLAから送りつけていた時代のものです。これは、ほぼ自分の論理で自分をやる気にさせようとしていたとしか思えないですね(笑)けど、今読んでも、まー確かになって思うことがあるのでいいんじゃないでしょうか?
それにしても、この頃の僕はほとんど自分を洗脳するためにエッセイ書いてるなー(笑)
監督になりたいなら、技術力より営業力
これはあくまで僕の個人的意見なので賛成でも不賛成でもいいと思う。 で、なにが言いたいのかというと題名でも書いたとおり「監督になりたいなら技術力より営業力」を磨いたほうがいいのではないか?ということ。
僕もアメリカに来てかれこれ6年くらい経つ。その間に日本人、アメリカ人、その他の留学生、先輩、後輩、音楽家になりたい人、映画やりたい人、絵描きになりたい人と様々な人と出会ってきた。皆、自分の夢を熱く語り努力しようとしていた。が….時間が経ってふと見てみると、その夢を実現していないのは当然として、実現しそうな人すらあまり見ない。しかし、あまり見ないだけであっていることはいる。
そして、その「夢に近づいている人&実現した人」と「夢を諦めてしまった人」の違いを考えた時、この「技術力より営業力」という事を思ったのだ。
これは、技術力が必要でないと言いたいのではない。映画に関して言えばスタンリーキューブリックを始め多くの有名監督が撮影監督よりもカメラについて知り、編集マンよりうまい編集をする。なかにはCGを知り尽くしている監督もいる。
ただ一方でデビュー当時は映画の技術について何も知らなかったのに今は有名監督になっている人も多いということも覚えておかなければいけない。例えば、コーエン兄弟、マイク・リー、「レインマン」のバーリー・レビンソンなどがそうだ。
では、なぜ彼らが映画監督になれたかというと「自分のやりたい事、撮りたい事」をキッチリ人に伝える事ができたからだ。そして、最初にあげた技術をよく知る監督もこの才能をしっかり持っていたからだ。これが僕の言いたい「営業力」だ。
実際、もし監督が全くカメラについて知らなくても自分の資金があって優秀な撮影監督やスタッフ陣を雇うことができれば面白いかどうかは別として一応映画の形にはなるはずだ。
いや、資金がなかったとしても気合の入った熱い「営業力」があればスタッフもボランティアで参加してくれるだろうし、スポンサーも付けられるはずだ。そして、現場に入ったらその「営業力」をフルに活かしてスタッフに自分が欲しい絵を求めてみるのだ。そうすれば、技術がなくてもきっと思い通りの絵が、音が手に入ると思う。もちろん、次第に技術について理解してくれば自分の思いを明確に伝えやすくなるだろう。つまり「営業力」に磨きがかかるのだ。
問題なのは監督志望なのに技術に走りすぎた人の場合。
これは僕の今までの失敗から得たことなのだが、ついつい技術的な完璧を現場で求めてしまうのだ。これは問題だ。特に現場でもし監督が、あまりカメラばかりに集中したら他のスタッフ及び役者は混乱してまうだろう。もちろん、極稀に全てを卒なくこなしてしまう人もいる。例えば、今年『6月の蛇」でヴェネチィア映画祭で審査員特別賞を獲った天才 塚本晋也。ただ、こういう監督はどちらかというとアート系が多くハリウッドやTVのような完全エンタメ系ではまり見かけない。
というわけで、もしエンタメ系映画監督になりたい方は「監督になりたければ技術力より営業力」というのを個人的にはお勧めする。 特に映画学校なんぞに通っている方(僕もそうだけど)監督志望なのに間違った方向に進んでいないかい?(間違っているかどうかは謎だけど。余計なお世話でスンマセン)といいつつ、現場では気を抜くとついつい自分でカメラを回そうとする僕でした…。
おまけ:でも技術のない監督は絵コンテをしっかり書くように。もしくは書いてもらうように(ご注文は上で紹介しや友人TOMOまで)。でないと現場が進みません。ただ、ふと思ったのは映画的イメージを頭のなかにしっかり持つって、もしかして技術かも?
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