学生時代のエッセイ

これは、LAで配布されている日系の新聞にバイトとして掲載していたエッセイです。当時は、22歳くらいの僕は、SCARを強引な宣伝で公開したあとでありLAの日本人社会では、ちょっと有名でした。そのため、色んなところから面白そうな話を頂いたのですが・・・ほとんどが、口先だけでした。実際、この連載中話題にでるものの全てが形にならないという結果に終わっています。今、読み返すとなんか「かなり痛い子」です(泣) しかも、これの原稿料も半分未払いだったし・・。

「映画を撮りたい!自分の映画を見せたい!」当時の僕は純粋にそれだけだったので、かなり翻弄されました。けど、このときの経験が後々フリーで活動するにあたって「全ては自分の責任」という自覚を育てるのに良かったと思います。

学生フィルムメーカーが行く! シーン1:『願えば叶う!?』

ある日、大学の前の通りに突然強大な金の像が現れた。それがオスカー像であることに気づくのに時間は要らなかった。日本にいた時にはアカデミー賞なんて遠い国の出来事であった。しかし、今はこんなに近くで見ることができる。こんなことを言うと、ただ見るだけなんて観光客にでもできると言われるかもしれない。しかし、僕にとっては『間近で見て感じる』ということは非常に大切なことなのだ。
高校卒業後すぐに渡米した僕は英語も話せず、映画を製作できるほどのお金もなかった。しかし、Orange Coast College(以下OCC)に入ってこの学校の映画祭を見たとき『来年はきっと自分が参加してやる!あの大きなスクリーンでアメリカ人の前で上映してやる!』と心に決め、翌年それの目標は果たされた。
次に考えたのがジョージ ルーカス監督を輩出したことでも有名な南カリフォルニア大学(以下USC)での上映だ。しかも、一番大きなシアターでである。その目標も、カレーライスをキャンパス内で売ったりクラブを設立して部費として学校から引き出した1500ドルをもとに1年の歳月をかけて製作した長編ホラー映画SCARで果たすことができた。しかも2日間でUSCとOCC合わせて800人以上の観客を動員したのである。また、この作品はUSC近隣の一般映画館でレイトショーながらもその翌年の2000年9月に公開され1000ドルほどの収益を上げる事ができた。

これらは全て、自分の目標である場所に赴き『自分がそこにいる事を実感し、その目標を手中に収めることをイメージ』したからこそ成しえた事だと思う。
だから、こうしてアカデミー賞のオスカー像を見上げ『いつか、この手に…』とイメージし、そして願うことが僕にとっては大切なことなのだ。

とは言え最近は2年前に製作したSCARがCSUNに招待上映されたり、日本でインディーズムービーフェスティバルに入選しTSUTAYAなどでレンタルされたり、キネマ旬報、ロードショーなどで『超インディーズムービー、ハリウッドで劇場公開!』などと誇大広告っぽいものを引っ提げて一人歩きをしているのを良いことに、学校の忙しさも手伝ってか何も映画を製作していない。

これはマズイ!誰かに『伊藤君はどんな映画を作っているの?』と聞かれ、2年前に勢いで製作したあの作品を見せるのはいい加減恥ずかしくなってきた。

人間は常に成長していく生物である!とどこかの哲学者が言ったかどうかは知らないけど、ついに次回作を製作します!(公言!!)
 
 しかも連続で2本。1本目は前回同様、民生用のDVカメラで製作の短編ファンタジー。そして2本目は無謀にも35mmで撮影の長編。つまり、制作費が最低5千万円はかかるだろうと思われる作品で、学生にしては超大作。

 けれど、現在のところこの制作費をどこの誰が出してくれるのかなど全く予定なし。
しかし、もしこの作品に投資していただける方がいらっしゃるなら絶対損はさせません! (保証はないけど…)

    僕の映画製作の心情に『多くの人が見ない映画は作らない』というのがある。 だってどんなに素晴らしいメッセージが込められていたとしても観客に伝わらなければ意味がないじゃない? 要するに『多くの観客が見て楽しむ=投資家は利益が出る=皆、幸せ!』ということである。
    
  じゃー、それはどんな映画なの?また、どうやって製作するの?という質問がくると思いますが、それはまた次号で!

※シーン2は元文章を紛失。「NEKO」という、あんまり観客の事を考えない、自分の感性のみの作品を日系のTV局に500ドル(約5万円)出してもらって制作を始める。

学生フィルムメーカーが行く! シーン3: 「暗中模索?」


2年ぶりの短編NEKOの撮影が終わり、今度は来年4月に日系のテレビ局の深夜枠で放映がスタートしその後、日本や台湾などで放映される予定の連続ドラマの脚本の執筆に取り掛かっている。この企画は僕にとって初の予算のあるプロとしての仕事である。しかし、スタッフやキャストに少ないながらもある程度の給料を支払いながら企画を進めるというのが初めての僕には今のところ不安がいっぱいだ。

まず、見積もりの出し方が分からない。今までの学生映画のノリならば、無許可のゲリラ撮影は当たり前。挙句の果てにはスタッフから食事代を徴収する始末。しかし、プロとして製作するとなると保険の問題だとか許可料の問題だとか今までは無視してきた事に金がかかる。専門のプロデューサーを雇うこともできるが、脚本にゴーサインが出ていない現段階では自分で準備を始めなければならない。仕方がないので大学の先輩などのアドバイスを仰ぎながらの暗中模索である。


 暗中模索といえば僕の映画製作というのはいつもそうだ。何も知らないままビデオカメラを小学校の頃手にして以来、とりあえず「自分がイメージする世界を映像にしよう」という心意気だけで映画製作を続けてきた。作っては誰かに見せ初めて技法について教えて貰ったり、気づいたりする。これは僕の学習における性格なのだが、いきなり物事について教えられてもあまり理解しない。まず、その事を実践し失敗したり無理をしたりした後でないと学習しないのだ。これはかなり動物っぽいような気もする。


前作SCARのときも同じである。この作品はアニメーションのように全て後から声や効果音を入れたのだが、これはたまたま同録した音に納得しなかったからこの様な方法をとったのだが…。 背景に流れる雑音はもちろん登場人物が動くたびにでる服がこすれる音まで、映像を見ながらマイクの前で同じような動きをして録音した。大変な作業である。しかし、通常映画製作においてこの作業は当たり前のことらしいのだ。ただ、役者の声は後で入れると感情が入れにくくなるため可能な限り現場で録音し、声以外の音全ては後でスタジオで入れるのだ。なるほど、道理で普通に同録しても物をおいたりする微妙な音が取れない訳だ。だから、ハリウッド映画なんかだと主人公の背後にたくさんのエキストラがいても彼らは口パクで実際には主役だけがセリフを話しているなんて言う現場もあるのだ。

そんなわけで、SCARの場合は70%くらい正解だったのかな?とは言えそんなSCARも多くの人に見て貰ったり、最近ではヨーロッパのほうで配給されるという話も出てきていて、いやはや暗中模索でできた作品も捨てた門じゃないなという感じだ。映画製作を志す皆さん、知識云々の前に一度撮って見たらどうでしょう?なにか質問がありましたらPlanet Kids Student Network(http://www.pkfilm.com)が何かの役に立つかも?インターン(監督、プロデューサー、CG、アニメーターなど)情報もたくさんあります。不安な監督ですけど僕の現場でもインターン募集してますので、よかったらどうぞ…。

学生フィルムメーカーが行く! シーン4: 「だから、頑張る!」

7月は日本に帰って色々やってきた。せっかくのホリデーだと思ってたのに、結局LAにいる時よりも忙しい日々だった。まずは自宅に到着早々、時差ボケもなんのその。いきなり連ドラを共に書いている友人二人に拉致され徹夜でスカイラークというファミレスに軟禁状態。「このキャラの性格じゃ、こういう行動はしない!」だとか「愛とは… 友情とは…」などという第三者が聞いたら「なんのこっちゃい?」という議論が深夜のファミレスにこだましていた。しかも、その脚本を書いている友人の一人はこの日初対面の人。p4mというソニーがやっているインターネットの映画サークルで知り合ったのだ。しかし、彼と出会って30分僕らはまるで長年の親友のようにお互いを攻撃していた(笑)。こんな出会いを経験し「ITって凄いなー」なんて今更ながらに実感する。で、まー僕がこれを書いている今も彼は日本で馬車馬のように必死で脚本を書いているわけだが…(彼も連ドラの製作が始まったらLAに来ること決定!彼の人生はITによって狂わされるのかも?)


  と、まあ連ドラのほうはこんな感じで何とか進んでいるがそこにもう一つ事件が!なんと、昨年から日本最大手のレンタルチェーン店TSUTAYAでレンタルやセルビデオの稼働率を競っていたインディーズムービーフェスティバルで僕の前作であるSCARが3位に輝いたのだ(ちなみに1位は加納典命の息子さんだった)。SCARはLAで劇場公開されたこともあり一部マスコミが取り上げてくれたので多少知名度はあったが、僕が日本になかったこともあり他の作品にくらべて宣伝活動などをほとんどやらなかったので半分諦めていたのだが…。入選している監督席に座っていると突然スポットライトが当たるものだから、びっくり仰天。あまりの急なことに舞台に上がっても緊張せずに済んだけど…。(マスコミの力って凄い!そういえば最近テレビ朝日で放送された「未来者」<現在LAの日系レンタルビデオ屋で貸し出し中>の反響も凄かったけど…) その上、2チャンネルという匿名が守られているゆえに外部か内部か分からないままに論議が行われている有名なWEBサイトでも、なぜかSCARだけは上々。まー、グランプリとかはどんな時でもこういう場ではこき下ろされるものだけど。それでも、2年前に完成しその後も厳しい批評を受けてきた作品が賞を受け多くの観客に誉めて貰えたということは本当に嬉しく感じる。そして同時にSCARという作品を制作するのに長い間付き合ってくれたスタッフにやっと何か返せたような気がする。


 映画製作というのは本当にキツイ。「千と千尋の神隠し」が大ヒットを飛ばしてる宮崎監督がまた「これで最後だ」などと言っているが、あながち嘘ではないと思う。毎回、本気なのだ。それほど大変なことだ。しかし、それでも再び挑戦してしまうほど魅力的なことでもある。僕の作品も8月にBridge TV放送される短編NEKO、続いて来年4月より放送予定の連ドラ。そして、インフェスで3位を取ったため急遽浮上した夢の劇場用映画の製作。期待と同時に不安を拭い去れない今日だが、きっとまた何かが見えてくるような気がする。だから、がんばる!

学生フィルムメーカーが行く! シーン5:「映画の中の孤独」

NEKOという作品が完成した。日系のテレビで放送するということで締め切りが決まっていたのだがスケジュールミスで製作が終了したのは締め切り25分前。ポストプロダクションに関わったスタッフ達は3日3晩の徹夜で意識不明寸前であった。今回は「自主制作映画未経験の生徒に体験してもらい責任あるポジションをいきなりやってもらうことで、もうすぐ始まる連ドラの現場に入る前の準備をする」というのをコンセプトとして置いてあったため遅れることは分かっていたのだが…。スケジューリングまで任せなくても良かったかも?とは言え結局のところ多少雑な部分もあるものの力づくで間に合わせてしまったのだから良しとしておこうか?あの眠気すらも凍りつかす極限のプレッシャーも未経験のスタッフには良い経験になったのでは?などとスケジュールが遅れ、雑な部分を残したまま世に出すことに言い訳というか勝手なポジティブシンキングをしているとスタジオのボスに怒られそうだが、テレビ放送を試写会と考えれば問題は無いわけで(今度はテレビ局に怒られそう…)。まー、どちらにしても怒られるので、もう少し手直しして何か凄い賞でも取って来るしかなさそうだ。

でも、今回のNEKOという映画を製作したことでまた新しいことを色々学ぶことができた。まず、「芸術映画の製作」に関して。今回のNEKOは僕としては初のアートである。といっても芸術とかそんな大そうな物でなく、要するに直感と本能のみで作った映画である。これは確かに作っていて楽しい。「やりたい!」と思ったことを「こんなことをすると観客が混乱する」とか「物語が理解不能になる」とか考えず、もしくはそう思っても無視するのは今まで幼少の頃より常に観客を意識して映画製作してきた僕にとってはかなり気持ち良かった。ただ、気持ちよかったのは製作中だけで、完成後はけっこう孤独を感じたりした。それは「受け入れられない孤独」や「感情を共有できなかったことに対する孤独」である。もちろん、今回に関してはその「孤独」を引き出したのは紛れも無い自分である。しかし、その孤独と向き合う強さを僕はまだ持っていないようだ。スタジオのボスの感想に僕のその弱さを端的に表す言葉があった。「あの作品のオープニング見たら、誰だって娯楽作だと思うよ。」そうなのである。この作品のOPが観客に媚びて僕の直感を曲げたとか言うことではない。僕はこのOPが大好きだし、僕のアート感覚に完全に沿っていると思う。ただ僕はボスに作品の中の「孤独に対する僕の煮え切らない覚悟」を見られてしまったような気がしたのだ。


このNEKOという作品の製作を通して僕の表現者としての態度を改めて認識するという新しい経験をした。そして次回の完全エンターテイメント作品の製作に対する自分の姿勢を再確認しようと思う。色々な意味で問題点の多いプロジェクトであったが、僕にとっては表現者としての新しい自分を発見させてくれた素晴らしい機会だった。このようなチャンスを作り上げることに協力してくれたプロデューサーの神村光久を始めとする全てのスタッフ、キャスト。そして、そんな僕らを支えてくれるQuadra X Entertainmentの古川貴氏、古川サトシ氏、スタッフの皆様に心から感謝します。「ありがとうございました。」
「これから、もう一暴れさせていただきます〔笑〕」。
やっぱ、映画は作んないと成長しないね!ということで引き続きPlanet Kidsではマジで映画製作やりたい人を募集しています。

学生フィルムメーカーが行く! シーン6:「生みの苦しみ」

短編NEKOも完成し連ドラもゴーサイン待ちになっている。この業界、天変地異や先日のテロ事件など、突発的な事故でスポンサーが下りたりして企画が頓挫することは常識である。だから、僕も日ごろから企画や脚本は貯めとき、種を巻きまくっておこうと思うのだが如何せん、性格的に怠け者のせいか事態が切迫してこないとなかなか執筆作業に入ることができない。
現在もインディーズムービーフェスティバルで3位を獲った恩賞として得られる次回作の資金援助を受けるための企画書と脚本書の締め切りが9月いっぱいとということでギリギリの状態に追い詰められて9月20日やっと企画書を書き始めた。
今回はもし企画が通れば僕の映画製作史の中でもしっかりした予算が組める状態になる。そして、こういうチャンスをしっかり掴む事でプロへの道が切り開かれる。だから、これは何としてもモノにしなければ!そんなプレッシャーのせいか、いつもは大量に頭の中に保存されているはずの企画が何一つ出てこないのだ。もちろん、色々やりたい要素はある。しかし、それらの要素をうまく閉じ込められる物語が浮かばないのだ。
時間はない。ストーリーを考え、脚本にする。企画書も書かなければならない。それを10日以内に全てやらなければいけないのだ。久々に体験する生みの苦しみだ。いや、こんな苦しかったのは初めてかもしれない。「これはチャンスなんだ!」というプレッシャーが頭の中にコダマス。寝ても覚めても、授業中も(これはいつもか…)
食事中もどこかにヒントはないかと手当たり次第探しまくる。そして、とうとう自分は何のために映画を作りたいのか?なんて自分の哲学に対して疑問をぶつけてしまうようになる。しかし、そんな時僕が敬愛する脚本家の一人三谷幸喜氏の言葉を思い出す。「ギリギリになって、凄く苦しくなったら。もう大丈夫なんです。」僕もその言葉を信じることにした。
プロの道を選ぶのであれば締め切りは必ずあり、それまでに良い案が思い浮かばないことも多々あるだろう。しかし、それを超える力がなければそれこそ「才能がない」と言うことかもしれない。これは、僕により一層のプレッシャーをかけより苦しくなった。色々な友達に意見を聞いた。だが、答えは出ない。僕は決めた。とことん自分を追い詰めるためグランドキャニオンまで一人でドライブしようと。自然がきっと答えを教えてくれる。などと思っていた。
その時である。日本にいて連ドラの共同脚本家の一人でもあるAくんに僕の叫びを聞いてもらい、彼を聞かせてもらっていたとき突如閃いたのだ。僕はその場で彼に今思いついたアイデアをマシンガンのようにぶっ放した。すると、彼もそのアイデアに対し怒涛のごとき素晴らしいアイデアを返してくれるではないか!
これはイケル!僕は確信した。
 あとは、書くばかり。体力と集中力の勝負である。だが、僕は悩むのに疲れてしまったので、思いのたけをA君にぶつけ最初のプロットを彼に書いて貰うことにした。僕はその間に企画書を作成。各方面に配布できるように、表紙まで作ってみた。
僕と彼はお互いをMSNのメッセンジャーでコンピューターを起動して本当に仕事をしているか見張りをしながら仕事を進めた。日本とアメリカ。陸海空を越えた共同作業である。プロットができると僕がそれを脚本に直し、またA君が煮詰めなおす。
インターネットという文明の力を実感する瞬間だ。(おかげで、お互い昼夜の観念がおかしくなったが…)
こうして、次回長編映画の企画書と脚本ができあがった…と言いたいところだが、9月27日現在未だ脚本の初稿は完成してない。あと、3日。もう少しだ。あっ、違う。日本時間だからあと2日だ。本当にヤバイので今日のところはこの辺で…。

連載はここで突如終了・・。