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GEORGE 制作日誌1
僕が98年1月にOrange Coast College(以後OCC)に入って、すぐ書き始めたのがGEORGEという脚本である。当時の僕は技術もなくスタッフもいなかったため、まず初めに考えたのが登場人物の少なく場所が変わることの少ない物語にしようということであった。そこで、考えたのがその頃憧れていた三谷幸喜風の作品である。三谷さんの作品は演劇出身という事もあり「12人の優しい日本人」や「王様のレストラン」など一つの場所からあまり移動しない一幕一場のものが多かった。そこで僕もこれに習い書き始めた。それがGEORGEである。
ある日、Tomという男の所に1人のセールスマンが現れる。その名はGEORGE。怪しいロン毛のアジア人である。彼は半ば強引な話術で次第に家の中にまで図々しく上がりこむ。初めはGEORGEを疎ましく思っていたTomも次第に彼の話術の虜になり、彼の紹介する謎の商品の説明に耳を傾けるようになる。そして、いつしか二人の間には和んだ雰囲気が漂い始める。しかし、GEORGEの真の目的はTomを殺す事にあった。実はTomには同姓している日本人の彼女がいる。しかし、朝から喧嘩をし彼女は家を出ていた。
GEORGEはその彼女の兄貴だったのである。兄弟は幼い頃両親を亡くし、二人だけど育ってきた。兄であるGEORGEは兄であると同時に父であり母であった。しかし妹が思春期を迎え恋をする頃になると兄の中では、父親の娘への独占欲、母親の息子への独占欲、そして兄貴としての独占欲。そんな妹への異常な愛情が膨れだしたのである。お陰で妹が付き合った男性は次々と奇怪な事件に巻き込まれ怪我をしたり、命を落とした。そして、そんなGEORGEの魔の手が遠く離れたアメリカにまで追ってきたのである。
とまあこんな話である。殆どはTomのリビングで進行するのだが...。出演者はアメリカ人1人に、日本人2人。なかなかの好条件である。しかしこの時僕はすでに最大の失敗をしていたのだ。それは三谷作品で一番大切なこと。三谷さんの作品といえば構成やテーマもさることながら、その会話の面白さにある。だが、僕はこの映画を英語で撮ろうとしているのだ。
GEORGE 制作日誌2
普通留学生がOCCに入るときは大体ESL155(留学生必須の英語のクラスで入学時のテストによってどのレベルのクラスから始まるか決まる)、もしくはその上のESL160と言うクラスをとらされる。しかし、僕が最初に取らなければならなかったのは普通の人の英語力以下のESL135である。その僕が一時間分の会話だけの脚本を書くのだ。そのレベルは既に三谷さんは言うに及ばず小学生レベルあるかないかの国語力である。
しかし、当時の僕は燃えていた。燃えすぎて自分の英語力のことなど忘れていた。(というかあまりの英語力のなさに自分の英語レベルが分からなかった)ほぼThis
is a pen の乗りのレベルのままタイプで60ページ分の脚本を一週間ほどで書き上げたのだ。
いやー、書きあがったときのあの爽快感といったら筆舌に尽くしがたいものがあった。アメリカンな朝日を浴びながら、「僕もついにハリウッドの映画人かー」などとコーヒー飲みながら感慨に耽ったりして。脳天気だった。
その後、学校にいるアメリカ人や日本語のできる日系人捕まえては少しずつセリフを手直ししてもらい、いよいよ撮影に入ることとなった。
まず、主役を演じる日本人ダイキと役者を目指す白人青年クリスに脚本を読ます。ダイキは前もって練習させておいたのでなかなかいい。しかし、クリスは…
なにぶん僕が英語をうまく話せないレベルなのでクリスの演技が上手いか下手かなんてわかるはずが…
何かが違う。アクセントが変なのだ。でも、もしかしたらこれはスラング的ないいかtなのかもしれない。うーん、英語で演出などできるのだろうか?などと考えながらその日のリハーサルはとりあえず終わった。
しかし、翌日ESLの先生にクリスの言い方を真似て見せたところ、やはりそんなアクセントはないという事だった。僕は先生や他のアメリカ人にクリスの演技について色々説明しながら意見を聞いた。その結果クリスは「大根」ということが判明。しかも、僕が気づいたほどだ。彼の大根度は半端ではない。多分、僕の両親、いや祖母ですら分かるかもしれないほどである。アメリカでの第一作目でいきなり初めて良く話すようになったアメリカ人の友達をクビにしてしまった。
さすがにアメリカは厳しい…って僕がクビにしたのか。したがって、その後、僕らは新たな役者を探さなければならなくなった。こうなると、ナイーブな僕に代わって活躍するのが英語をマスターするために辺りかまわず話し掛けて友達になるダイキの出番である。彼の英語への努力はすさまじく、勧誘に来たLAタイムズの販売員と長い間話をし、最後に読みもしない新聞を購読してしまい彼の部屋には毎日届けられる新聞が開いた形跡も無く山済みされていた。(単に断る勇気がなかった。もしくは販売員の罠にハマッた。つまりNOと言えない日本人)彼はクラスで友達になった演技に興味のあるアメリカ人を次々に連れてきた。皆、クリスよりはうまい。僕らは、少しでもマジな撮影をしている雰囲気(どんな雰囲気や!ネン!)をかもし出すため照明(といっても普段使用している室内用のハロゲンランプと勉強机用のライト)に青いセロファンを載せ、窓の外にはホースで雨を降らせるなど映像的な工夫を凝らした。
GEORGE 制作日誌3
しかし、プロの役者を目指す訳でもない彼らは他に面白い事があると平気でスッポかす。 責任感が無いといってしまえばそれまでだが、彼らに魅力を与えられないレベルの僕らにも責任がある。ある、アメリカ人の友達から聞いた話だがアメリカ人の考え方の中にはOpportunity
Cost というのがあり、同じ時間に用事が重なった時自分にとって価値のある方を選ぶそうだ。
まあ、当たり前といえば当たり前だが日本人には多少「義理」とか「人情」とか入ってくるだろう。いや、それにしても役者がくる前に照明や大道具をセットしたり数少ない日本人(いや、日本人は多いけど僕の友達が少ないだけ)の友達に手伝いを頼んだりして準備万端なのに、いきなり堂々と「パーティー(飲み会程度)があるから行けない」とドタキャンされたりすると自分達の不甲斐なさを感じてしまったりもする。
そんなことをやっている間に一ヶ月程がたった。そして、やっと自分の英語でのkィ訳本力、演出力、大樹の演技力。どれをとっても一幕一場で60分の映画を製作するには不十分だという事に気が付いた。しかし、既に撮影したテープ(70%大樹 30%次々代わるアメリカ人俳優)が3時間ほどある。これを無駄にするのはあまりにもったいない。けれど、完成の目処は立たない。仕方なく、大樹と手伝ってくれた友達に製作中止を告た。
それから一週間後ぐらいのことだろうか、OCCでは結構有名(色々な意味で)な映画専攻の日本人生徒が自分の凄い映画を自宅で上映するからと人種問わず振れまわっていた。そして、ある日、キャンパスで彼とばったり会った。僕は彼の事を殆ど知らなかったが、誰かが僕の高校時代の映画製作の話をしたのか僕の事を知っていて、いきなり「おう!お前も映画メジャーだってな。俺の映画見たらぶっ飛んで日本帰るぞ!!」と言ってきた。彼と会うのはこの時が始めてである。(うーん、彼が有名な意味がわかる)彼の強引な迫力に一瞬戸惑う僕。しかし、まあ先輩という事もあるので「行かせてもらいます」と招待(?)を受けた。
その時だった。僕の脳裏で撮り終えた「GEORGE」のシーン達が叫び声をあげた。物語としては繋がってはいないが、映像としての質は悪くない。僕としては何とか多くの人たちにその映像たちを見せたかった。そこで考え出したのがPREVIEWの製作である。僕は急いで家に帰りカメラとビデオデッキをつなぎ合わせ編集の用意をした。
当時、僕の手元にノンリニア編集のできるコンピューターやフレーム単位で繋げられる編集機などない。今できる事は、カメラを再生し、必要なところにきたらVHSのデッキを録画にするという古典的な方法である。しかし、ビデオデッキの録画ボタンを押してから実際に録画が始まるまでは数秒かかる。 編集機があればその時間を計算しセットしたところから録画できるのだが、今その役割を果たすのは僕の腕しかない。3分のPREVIEWを作るための戦いが始まった。
大変な作業ではあるが、小学校4年から編集機を手に入れる高1の春まではこの方法でやってきたため1秒単位までは合わせる自信はあった。しかし、1秒の誤差と言うのは映画編集としては大きい。だから、あとは運に頼り納得のいくまで何度も何度も繰り返した。そして、翌日14時間かけてやっと3分のPREVIEWができあがった。しかも、体が音楽を覚えていたのか奇跡的に音楽と映像がマッチしている。最後にタイトルと、本来Coming
Soonと出てくるところにタイプライターの音とともに「製作中止」と友達にコンピューター(これも映像用のコンピューターではなかったので大変だった)で入れてもらいパーティーが始まる15分前に何とか完成した。
そして、そのテープを携えパーティー会場である彼の部屋を訪れた。日本人はもちろんのこと、アメリカ人や他国の留学生もいた。主催者の彼は中央で相変わらず大風呂敷を広げている(これが彼の芸風)。僕が作品を持ってきたというと、彼も喜び前座で上映させてくれるという。(「俺の後だと誰も見なくなるからな!」と一言余分な言葉がついていたが…)。上映会が始った。
プロの作った映画でさえ本編よりMTV感覚で凄い映像をつなぎ合わせたPREVIEWの方が面白い作品が少なくないのだから、学生の場合はなおさらだと思うので映画勝負(そんなものは意味がないと僕は思うが)と言う点では公平さに欠いていた。 それにどんな理由があれ途中で製作を断念した僕より15分の短編を完成させた彼の方が偉い。しかし、今回の上映会において僕はOCCにおいて映画専攻の生徒として一目置かれる存在になった。
映画は1人では作れない。だから、スタッフが必要である。そして、そのためには信用を得るための実績が必要である。ほっておいたら誰の目にも永遠に触れなかったであろう映像からそう言った実績の第一段を気づく事ができたのは本当に良かった思う。
Never Give Up(決してあきらめない)精神を僕はこれからの映画製作に生かしていこうとこの時思った。なーんて、PREVIEWの最後にでてくる「製作中止」で笑いを取った人間の言う事かよ…
こうして、僕のアメリカでの映画製作が始まった。
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