監督/伊藤秀隆 脚本/伊藤秀隆 千葉大樹 プロデューサー/深澤耕介 撮影/ニホンマツアキヒコ 照明/奥野タク 編集/慶野敦子 美術/荻原麻子 キャスティング/坂本マリ 音楽/奥野勝利 CG/武田宏光 森大樹 アニメーション監督/水谷マサヒロ
CAST/ Elizabeth Fujimaki, Jemes D. Bezy 他
もともと、このアニメと実写を融合させた映画を撮りたいと「SCAR」終了後、持ち歩いていた念願の企画。「闇の旋律」が成功し、「次は好きなのやっていいよ!」という心強い出資者の言葉を受け1年かけて製作した作品。
これまで、学生中心のスタッフ編成だったのが、この作品からはプロが参加。プロと学生が一致協力し、総勢60名以上のスタッフが参加して製作した意欲作。アメリカンフィルムマーケットに出品し、世界7カ国から配給オファーを受ける。
また、この作品に参加した学生スタッフの多くが現在、プロとして活躍し始めている。学生時代のPKを語る上で「SCAR」に続く、代表的な作品となる。
下記は、撮影当時に伊藤がリアルタイムで更新していた制作日誌です。(一部、留学終了の生活日記と混ざっています。)
January 30, 2003
03クラッシュボール 製作秘話1
明けましておめでとうございます。なーんて、かなり遅い新年のご挨拶になってしまいました。いくら、筆無精の僕でもさすがに10月から更新していないともなると、もはや日記とは呼べない。よし、エッセイ集にしよう!なんて思いながら久々に日記(なんだ、まだ日記なんかい?)を更新しようとしている。
で、僕が10月から今までの間なにをやっていたかというと、パンパかパーン!新作映画の製作である。前作「闇の旋律」の上映かに来てくれた方々には「この冬、新作製作決定!」というテロップを流したのだが、その「新作」を撮っていたのだ!
前作「闇の旋律」がスポンサーに好評だったため、頂いた新作のお話。でもね、このお話を頂いたのって実はかなり急だったのだ。だって、「やっと映画終わったなー」って9月ごろ話してたら突然スポンサーからメールが来て「この冬、公開用にまた映画を製作してくれません?」って・・・
なにも決まってないのに12月に公開できる映画が製作できるわけないだろー!ってこれ、別にスポンサーに文句いっているわけじゃないよ。だって、前回が短編3本だったから、今回は短編を1本くらい製作してもらおうとスポンサーは考えていただろうからね。
でも、もう短編は夏に作った。次に作るとしたらやはり長編だろ!しかも、ずいぶん前から考えていた秘蔵の企画。ということで、スポンサーに交渉しようとした。しかし、僕らのスポンサーはインターネットのプロバイダーである。どこの誰がインターネットで長編映画を見る?僕だったら絶対見ない。
まー考えても仕方がないので長編を4分割して各エピソードにクライマックスをいれNHKの朝の連ドラみたいにするというような企画書を書き、とりあえずスポンサーに送ってみた。すると・・・
「OKです。でも、次回にしっかり引っ張れるようにもう少しクライマックスの入れ方を考えてください」との返事。
おー、なかなか話がわかるじゃないか。(なんか偉そうでスイマセン)
で、頑張ってストーリーを完全にして再度スポンサーに送る。すると・・「なかなか面白そうですね。この前話した各エピソードへのクライマックスの件忘れてください。伊藤さんの好きなように作ってください。期限も来年の夏公開でいいですよ」って、
なんて、良いスポンサーなんだ!!
不況、不況と叫ばれ暗い話題しかない日本に、まだこんな優良企業があったとは・・・。いや、マジでこのご時世に無名のアーティストを育てようなんて素晴らしいことのできる企業なかなかないっすよ。バブルの時代じゃないんだから・・・金のないときに、こういう投資をする。こういう企業が増えれば日本の将来ももっと明るいんだけどね。
こうして、新企画の製作がスタートしたのだ・・・しかも、制作費は前回の3倍で。まー長編製作するにはかなり低いんだけどね。そして、数日後プロデューサー3人と僕とで初ミ-ティングを行った。
しかし、この企画のスタートこそが地獄への入り口だったことにまだ誰も気がついていなかった。って実は僕は少し気づいていたんだけどね。だって、最初に皆に言ったことが
「伝説を作るぞ!」
要するに、すでにどう考えても元々無謀な企画だったわけなのだ。ふふふ・・・
そして、演出家としてまず始めたのがストーリーボードの作成。今まで僕は誰になんと言われようともストーリーボードを描かなかった。いや、たまには描いた事が。しかし、僕の場合ストーリーボードをシーンに限ってあまりよくないのだ。なんというか、絵があまりに固まってしまって生きた感じがしなくなるのだ。これは予算にも関係するのだが、自主製作のような低予算映画の場合、イメージどおりのセットやロケ地にめぐり合えることはまずない。だから、与えられた条件の中で一番良いアングル、動きを見つけ出すが監督の仕事だ。しかし、ストーリーボードを用意するとどうしてもそれに頼ってします。すなわち、「現場で一番良いものを見つける」という、時間が迫る中でプレッシャーを押しのけながら行う仕事を無意識のうちに怠けてしまうのである。
だから、今までは描かなかった。だが、今回はCGやアニメが入り乱れるほかプロの仕事人も参加するので用意せざるおえなくなったのだ。果たして、ストーリーボードをうまく使いこなせるか?今回の僕の監督としての課題でもある。とりあえず、マッチ某人間でラフなストーリーボードを書き、美術の麻子さんとスターバックスに1日8時間こもり、3日間かけて100ページ700コマのストーリーボードを製作した。うーん、麻子さんの絵は素晴らしくストーリーボードの出来に思わず満足してしまった。あっ、これは危ない兆候である。
果たしてどうなることやら・・・すでに準備段階からかなり疲れてきた。
January 31, 2003
03クラッシュボール 製作秘話2
と、まーそんなこんなで撮影準備が着々と進んだ。しかし、一応毎週プロデューサー陣が集まってミーティングするのだが果たして企画が進んでいるのかどうかがわからない。いや、別に無駄にミーティングしているわけではないが、あまりに懸案事項が多く進んでいる実感が湧かないのだ。
しかし、時は過ぎていく。オーディションやスタッフィングが行われ、それに応じて役者が決まらない!スタッフが足りない!ロケ地の許可が出ない!機材が高すぎる!などなど出るわ出るわ問題続出のオンパレード。プロデューサーの耕輔の携帯電話は鳴りっぱなしで、携帯電話の使用料が週$140くるという悲惨な状況だ。
いつもながら映画製作の準備というものは本当に大変だ。それでも、交渉に交渉を重ね我が製作部は一つずつ問題を解決していく。この時点で、とても勉強になったのは
「1度や2度断られたからといって、簡単に諦めない」ということ。これは、今回のメインロケ地となるLAダウンタウンの地下での撮影許可を何度断られたにも関わらず、プロデューサー達がしつこく手を変え品を変え交渉しつづけた結果、見事撮影許可を獲得したことから学んだ。
ただ、たくさんの交渉の中では決裂してしまったものもある。機材については、カメラのレンタル屋と照明のレンタル屋にそれぞれディスカウントの交渉していたのだが、機材を借りに行った当日その事件は起こった。
実はその2つの店は兄弟で経営していたのだ。そして、ひょんなキッカケからその兄弟が連絡を取り、我々が撮影機材も、照明機材も両方安くさせようとしていることに気がついたのだ。交渉が決裂しただけでなく、相手を怒らせてしまった。慌てて謝るプロデューサー。しかし、すでに誰かに機材を貸してしまったのか、次の週までレンタルできないという。撮影スタートは明日。手も足もでないとはまさにこのことである。
で、ところ変わってここはUSCのロバートゼメキスセンターの一室。機材を借りに行ったプロデューサー達がそんな困難を抱えている間にも、この教室には続々と学生スタッフが集まってくる。かなり多い。この日、来られなかった人もいるだろうが全部で50人ほどではないだろうか・・・。
プロデューサーが簡単にこれからの予定を説明する。続いて1stADの藤原くんとチーフADの大樹が現場での注意点などを指摘する。僕もなんとなく何か話す。が、大勢の人の前で話すのは苦手なのでかなり短めに抑える。
そのころ、機材を借りに行ったプロデューサーのケン、ラインプロデューサーのコウタ。そして、撮影監督の二本松さんが戻ってくる。結局、ハイスピード(スロー映像)の使えるカメラは来週まで借りられないため、もともとセカンドカメラとして借りてあったパナフレックスというカメラを使うことになった。照明は二本松さんが自分のネットワークを使って必要最低限ではあるがレンタルしてくれた。これで、ハイスピードが使えないため監督としては少々不満は残るものの何とか明日の撮影はできるようになった。
ここで、簡単にスタッフの紹介をしておこう。今回は僕の作品の中では最も規模が大きく、いくつかの部署にわけてそれぞれ動いてもらうことになった。
製作部、演出部、撮影部、照明部、美術部、、キャステイング、メイク部、衣装部、特撮部、スクリプター、編集、CG、アニメ、音楽、音響、メイキングである。こうやって書き出してみるとかなり多い。そして、それぞれの部署にボスがいて数人のアシスタントがいる。では、いきなり全部説明するわけにもいかないので、折を見て紹介していこう。
製作部は今まで一緒の何かやろうと言ってはいたものの実現しなかったカリフォルニア州立大学ノースリッジ(CSUN)を卒業したばかりのケン、USCの後輩マキちゃん、で「闇の旋律」において初めての映画製作ながら見事にプロデューサーを務めた(けど、3人のなかでは唯一コミカレにいる)PKの秘蔵っ子、耕輔。で、これら若蔵を大人の力でサポートして欲しいという僕の願いに今回もプロダクションマネージャー(経理)として前作に引き続き参加の石村さん。他に前作でスクリプターを務めたユカちゃんなど数名のアシスタントがいる。
で、演出部は監督が僕で。チーフAD(基本的な演技付けや脚本変更など演出の補佐)に昔は役者を目指していた千葉大樹。彼は今回、共同で脚本も担当している。通常は日本にいるのだが、今回の企画のために急遽取り寄せた(?)。そして、1stAD(映画撮影の全般を仕切る役。1stADがダメだと、撮影が完了しないとまで言われる大役)に「闇の旋律」では照明アシスタントとして大活躍した藤原くんが当たることになった。そして、2nd&3rd ADは今回が映画製作初参加で後に現場でパニックになりながらも頑張る姿がほほえましい、ゆう子&ナホが担当することになった。
明日に続く。
February 01, 2003
03クラッシュボール 製作秘話3
今日は昨日の続き。
さーいよいよ撮影の始まりだ!この日は忘れもしない、2002年12月14日。場所はノースリッジ。今日の撮影シーンは映画の中でも冒頭にくるシーンだ。朝の5時に集合。冬なのでまだ薄暗い。現場につくと、十分な機材を借りられなかったとはいえ今までのDVでの撮影とは比べ物にならないほどの機材がある。そして、すでに撮影部が準備をしていた。
ここで撮影部の紹介を軽く。今回は撮影監督(DP)として北野武監督作品「BROTHER」で1stAC(カメラアシスタント)および2ndカメラを担当し、数え切れないほどのコマーシャルやミュージックビデオの撮影をしてきたベテランの二本松さんが参加してくれた。そして、ACに学生としてはかなりカメラ技術を持つ(後に二本松さんからシゴカレまくり、プロが入る現場と学生映画の違いを教え込まれた)人たちが入ってくれた。
で、撮影が始まったのだが・・・うーんDVで映画を撮ってきた僕からするとFILMでの撮影は大変。これがプロの現場ならもっと早い(DP二本松氏いわく5倍は早い)だろうが、学生クルーではかなり遅い。しかし、時間が経つにつれて太陽は容赦なく落ちていく。正午近くなると、現場は初日から戦場と化した。昼飯を食っている暇などもちろんない。これは、いつもの撮影と同じ。ただ、今回違うのが僕にできることが、モニターの前に座っているだけ・・・ということ。
これは一見楽なようで、かなりつらい。モニターの前で僕にできることはショットの整理を頭の中でして少しでも要領よく撮影を進めることだ。が、今までの撮影で自分自身でカメラを回してきたため凄くストレスがたまる。PA(製作部のアシスタント)も慣れていないので車止めをしたつもりが、撮影中に余計な車がはいってくる。二本松氏が怒鳴る。僕もなかなか撮影が進まないことにイライラする。初めて撮影に参加したクルーはアタフタする。と思いきや製作部が仕事を全員にふりきれておらず、とても暇そうにしているスタッフもいる(暇そうなスタッフは自分のヤリガイが見出せず、すぐにやめていくのである。だから全員に仕事を分担させるというのは非常に重要)。
最後はかなり暗くなっていたが、なんとか撮らなければいけないショットは撮った。少し撮り落としがあるが、UPショットなので他の場所でもなんとかなりそうである。僕にとっては、かなり遅い撮影だったが見学にきていた編集のあっつん曰く、「かなり早い撮影だった。学生を使ってもさすがにプロの腕は違う!」とのことだ。そーか、FILMとは噂には聞いていたが、そうとうの厄介ものだということを実感した初日だった。
2日目はハイスピードが使えるカメラがないので、急遽予定を変更し昨日の取り残しをLAダウンタウンでゲリラ撮影。日曜日ということもあって、警察が来なかったのは幸運なこと。ただし、2日目にしてすでに撮影予定が遅れているのはかなり問題である。早速、スケジュールの見直しにはいる。そして・・・USCが誇る特撮用にスタジオ「黒澤スタジオ」での撮影をなくすことに決定。プリプロ(撮影準備期間)のとき黒澤スタジオにある巨大なグリーンバックをみてCG担当の武田君が「このグリーン抜きてー!」と分かる人にしか分からん雄たけびを上げたほど立派なスタジオでの撮影を削るのはとても残念だった。
そして、3日目。今日はハイスピードの使用できるSR2というカメラと大量の照明機材、そしてドリーなどのカメラを載せるための特機が投入された。こうなると、DPは俄然やる気が出てくる。そして、今日から照明のプロであるタクさんも参加することになった。
では照明部の紹介。ボスは二本松さんの紹介により「スパイダーマン」などのハリウッド映画から二本松さんとコンビを組むCMまで様々なプロジェクとに参加しているベテラン照明マンだ。といっても元は京都の撮影所で揉まれた人。そのアシストをする学生クルーやADにはかなり厳しい人に感じたと思う。しかし、その厳しさのあとにくる温かいフォローで撮影が進むにつれて、人気が急上昇していった。で、ここには多くの照明アシスタントがいるわけだがこの中に女性スタッフも入っている。重いものを運んだりなど基本的に危険な重労働がい多いこの部署に女性スタッフが2人も参加しているのは特筆すべき点だろう。この2人、マリちゃんとキミちゃんは一緒に働いていたムロちゃん(SCARからのスタッフ)も驚くほどの働きぶりだ。別に女性対して偏見があったわけではないが、この2人を見て「男もオチオチしてらんないよー」と思ったのも事実である。実際、機材運びを手伝おうとしたらムチャ重かった・・・
と、まーこんな感じでLAダウンタウンの地下に潜っての撮影が始まった。しかも、あまりに埃が凄いので全員防塵マスク着用しながら・・・
February 02, 2003
03クラッシュボール 製作秘話4
この撮影で、一番つらかったのは初めの休みがくるまでの5日間だったのではないだろうか?仕事に慣れないクルーは全然各部署のボスの言うとおりに動けない。ボスもそれにともないストレスが溜まる。監督の僕は相変わらずモニターの前でジッとしていることに苛立ちを覚える。撮影スケジュールは遅れ、まずは必要最低限のショットを割り出し、それでも無理な場合は大樹と共に脚本のどの部分を削除するかを検討する。朝5時に起き、6時には現場入り。そして、寝るのは深夜の3時近く。かなり疲れてきた。いや、僕の場合体力的には座っている時間が多いのでそれほどではないだろう。ただ、次から次へと時間に追われその中で自分の欲しい絵をものにするという作業はもの凄いエネルギーを要する。
これは意外な発見だが、自分でカメラを回すより疲れる。まーこれは僕がモニターの前から演出するという方法に慣れていないせいもあるだろう。夜、ベッドに入ると一瞬で意識がなくなる。
最初は、多くのスタッフと多くの機材が運び込まれたセットに興奮を覚えたものだが、その興奮はやがて「逃避したい現実」へと変わっていった。
なーんて、文章で書くとダンダン深刻になっていくが実際はそこまで大変ではなかった。いや、上に書いたことは嘘ではないし誇張でもない。でも、これはどんな監督もプロ体制(モニターの前に座るような撮影状態)になったとき誰しもが思うことらしい。というのを事前に知っていたので「おーなかなか成長してきたな。自分も」と自分の成長に喜んでいた部分もある。でも、マジな話、監督はある程度お気楽な性格でないと精神が持たないなーと思うこともある。だって、自分が撮影前に求めた映像が完璧に手に入るなんてことはまずないのだから。
だから、これは映画製作に関わる全てのスタッフ、キャストに言えると思うが常に「変化すること」をある程度は楽しめなければダメなのだ。映画製作において予定通りというのは超大作映画でも難しいのだから低予算映画では当たり前である。
ただ、休み中に起きた役者の降板はかなり痛かった。この日は初めての休みでスタッフは皆、爆睡していたことだと思う。僕も起きたのは夕方だった。電話で目が覚めたのだ。キャスティングディレクターのマリさんからの電話。この映画では中心的なキャラ、リー役の役者が明日の撮影に来られないというのだ。そんな、馬鹿な・・・
今回の撮影スケジュールは役者のスケジュールとセットの組み方など様々な要素が複雑に絡み合って組まれている。だから、役者一人の我がままのために崩すわけにはいかない。実際、この休みも美術チームが明日撮影予定のシーンに必要なセットを組んでいるのだ。相手の役者が来られない理由はあまりにも私的だ。ここで、選択を迫られらた。すでに撮影済みの1シーンを諦めて、新しい役者を探すか?それとも、この役者の言う通り撮影日程を変えるか?ただ、この役者は僕のイメージ的にはかなり合っているし、演技力も悪くない。ただでさえ、50代の役者を探すのは難しくオーディションでも一番大変だったのに・・・それを今から。
ここで、僕は考えた。このキャラの撮影はこれからもかなり多い。しかも、エキストラ60人を集めてのカジノのシーンも含まれる。万が一、その撮影日にも今回のようなドタキャンされたら・・・。その俳優を降板させることを選んだ。この決断により、さらなる脚本のカット、スタッフへの負担などあらゆるリスクがかかってくるであろう。しかし、この俳優を使い続け映画製作が中止になるというほどのハイリスクは避けなくてならない。 リー役の俳優を変えるという情報は一気にスタッフの間をかけめぐった。予定などを管理している1stADの藤原君が起きたときには留守番電話に10件ものメッセージが入っていたという。
役者が変更となり、撮影予定は大幅に変わった。美術チームが一生懸命作り上げたセットも一度バラさなければならなくなった。それでも、撮影は進むのである。というか進めねばならぬのだ。この時、カレンダーを見ると撮影日程はまだ半分も進んでいない。こんな時、かなりの疲労感を覚えながら思うのだ。
「大物になる人間はやっぱ生き方が違うな!」と。こういうの脳からアドレナリンが出てるっていうんでしょうかね。チーフADの大樹なんかも、「そんな状況で頑張る自分が好き」とか言う究極のナルシスト状態だし。あ、そういえば製作部でもそんな奴が一人いたなー。問題山積みの製作部において、あまりストレスを溜めず困難な仕事に挑む自分にほれ込んでる奴が・・・。あれは究極のアホです。
でも、ふと現場でスタッフを見回すと本当に余裕がなくなってピリピリしている人と、僕みたいにアドレナリンでて単なるアホになっている人と2種類出現していることに気が付く。まーまっとうに社会生活を送っている人から見れば、ピリピリしている人のほうが普通なんだと思うけど。
こんな風に大変な撮影が続いていたのだがクリスマスを過ぎるころになると、仕事にも結構慣れてきたのかスタッフの動きもスムーズになり、変な緊張感もなくなっているのだった。僕もモニターの前で思わず居眠りすることも多くなったし・・・って寝るなっちゅうに!で、とりあえず頑張ってその瞬間を生きれば、次第に時間は経つものでいよいよ16日間の地下室での撮影も最終日となったのだ!
今年最後の撮影が終われば、めんどくさかったFILMや空気の悪い地下室ともお別れだ。しかも明日から4連休!これは最後の撮影は暴れるぞ!と気合をいれて撮影の望んだ。最後ということで、多少撮影が長びいいても誰も止めない。僕は撮った。撮って撮って撮りまくった。気が付くと24時間近く撮影していて皆へろへろ。僕もへろへろ。そして、ついに地下室での撮影が終わった。緊張が疲れに変わっていく瞬間・・・
が、ここで気が付いたのだ。「後片付け」のことを・・・
むちゃくちゃ広い地下室を落ち着いて見渡すと、大量の機材とセットを組むのに使った大量の瓦礫、木材が散らばっている。契約上、30日には完全撤収しなけらばならない。しかし、もう・・・いつのまにか日付が変わり30日になっているではないか。一度寝て、夜もう一度くるか?いや、レンタル屋などの店が閉まってしまう。選択の余地はなかった・・・
各部署の無言で片付けを始めた。朝の5時。そういえば、昨日ここに集合したのも朝の5時だったよなー。僕ら演出部も美術部を手伝い、手に木のささくれが突き刺さりながらがんばった。
こんな感じで、自宅の掃除は何もできずに2002年は終わっていった・・・
September 25, 2003
クラッシュボール 製作秘話5 (前の日記から7ヶ月経ってる・・)
げっ・・気がついたら、9月ももう終わりジャン。
この「クラッシュボール制作秘話1」を読んでみてください。なっ、なんとスポンサーから以来を受けたのが9月。そして、確か9月の下旬頃から企画を練り始めていたような・・ということは!
祝!クラッシュボール1周年記念!! って、全然めでたくねーっつーの!なんで映画1本作るのに1年もかかっているのでしょうか?いやー、人生何が起こるか分からない。去年の今ごろ、まさかまだ同じ映画を作っているとは夢にも思わなかった。
で、1周年ということで前の秘話を読み返してみたら、こんなことが書いてあった。スポンサーが「伊藤さんの好きなように作ってください。期限も来年の夏公開でいいですよ」って・・・おい!夏どころか、もう冬だよ!さすがに12月1日には絶対提出してくださいって言われたけど、そりゃそうだよなー。最初は去年の冬用の映画を頼まれたのに、次の年になってるんだもんな。いやー、本当に素敵なスポンサーで頭が下がる思いだ。でも、これだけは守ってますよ!「伊藤さんの好きにやってください」。はい、好き放題やらせて頂いております。
って、確かに今回は色々実験的なことをやらせてもらって、それで時間がかかっているのだ。かかりすぎて、正直な話、12月1日の納品にマジでギリギリっす!そういえば、5年前に長編映画SCARを作ったときも1年かかったなー。でも、あの時と今回は1年のかけ方が違う。あの時は、週末のみの撮影で長い間、何もしなかったりもしたが、今回は本当にずーっと頑張っているのだ。何を頑張っているかって?それは・・
アニメです。
これが、本当に大変でこれから自主制作でアニメやる方には絶対お勧めできません。確かに、去年「ほしのこえ」という新海真さんが一人で20分の作品を制作されました。うちの映画で使用するアニメの部分は、多分5分くらいだ。だから、できる!と思ったのがそもそも間違い。新海さんは、それまでも結構アニメの勉強されていたはずなのだ。一方、PKアニメ班は?アニメ監督以外、全くの素人。アニメ監督だって、そこまで慣れている訳じゃない!2月くらいから作業を開始し、試行錯誤し続けた。紙に書いて、スキャンして動かしたり色々やった。で結局、タブレットを使いフラッシュで直接、動画を書き込み色を塗って、アフターエフェクツで効果をかけるという今の手法が確立したのが5月。で、それまでにできた最初のシーンが自分達では、まーまーよく出来たと思ってしまっていた(実は気づいていたが・・)カットが客観的に見て、仕えるレベルじゃないと認識したときは、すでに6月。しかし、その後は夏休みという機会も手伝って、僕の自宅に合宿状態のまま作業を進めた。絵のかけない僕は、効果などに注文をつけつつスタッフのために料理を作る。朝起きると(と言っても昼だが・・)朝飯。4時間後には、皆に何が食べたいかを聞いて、夕飯の買い物。そして、料理。そんな、夏を過ごし気が付くと・・アニメが凄く進化しているではないか!ただ、進化が早すぎるのだ。まるで、幼児期の子供のような成長の早さだ。あまりに早すぎて、ちょっと前に完成しているカットが、凄くしょぼく見える。これは、辛い!
それでも、とりあえず前に進もうとして気がついたら9月。あと、少しで全カットのアニメが終了する。しかし、すでに「直しのカット」が大量発生!遅くとも10月中旬には編集を終え、映像をロックして音響と音楽に回さなければならない。すでにアニメ班の疲れはピークに達している。というか、ボランティアで参加していて仕事や学校以外の全ての時間を、この1年弱の間クラッシュボールのために費やしてくれたこと自体が奇跡のようなのだ。っていうか、普通、有り得ない。CGも同じだ。この1年間、ずーっと頑張ってくれた。
僕も出来上がってくる素材を編集しながら、このスタッフの努力に報いるだけの作品にしたいと躍起になっているところだ。そして、最近になってようやく手ごたえを感じ始めたのだ。監督と言うものは、作品が完成近くなると、イメージだったものが現実として目の前に出現するため、感動と同時にある種の落胆も感じるのだ。そして、僕は今その時期にある。確かに不安だ。でも、出来上がってくる作品は、確かにオリジナリティー溢れる力を持っていることを確実に感じ始めることができたのだ。ただし、その力が表にでるかどうかは、これからの「アニメの直し」「CGの追加」「音響」「音楽」に懸かっていることに代わりはない。
あと2ヶ月・・スタッフの皆が最後、どこまで粘ってくれるか?これが勝負だと言わざる得ない。
ていうか、自主制作で長編映画、しかもCGとアニメが大量に入るちょい実験的娯楽映画なんていうのに、良い子の映画学生は手をだしてはいけませんよ。
うーん、次回は完結したいよー!
スタッフの皆さん、身体には気をつけて頑張ってくださいね。マジでお願いします。
October 23, 2003
10/23 編集の日々
ここ1ヶ月の1日のスケジュール。朝、起きた瞬間にコンピューターの電源を入れる。顔を洗っている間に、コンピューターが立ち上がる。戻ってきて、メールと今日のニュースを一通りチェック。その後、パンと目玉焼きと紅茶(毎日同じ・・・)を食べる。そして、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと編集だ。そんな日が毎日続いている。
そりゃ、腰も痛くなるって・・・
で、ここ2-3日前くらいから休憩にストレッチ運動などをしているしだいだ。まー、これは以外によい運動になる。問題は精神的なこと。一人で、たくさんの映像を切ったり繋げたりしていると、「何がいいのか?」「何が悪いのか?」「この映画はなんのか?」「っていうか、俺は何をしとんじゃ?」なーんて、どんどん煮詰まってくるわけ。
だから、スタッフに「編集のお手伝い」と称して遊びに来てもらったりする。(まー、実際面白くないことだけど手伝ってもらうことはあるし・・)じゃないと、一日中一人でコンピューターと格闘するというのは厳しいのだ。でも、映画と関係ない人に来て貰っても相手できるわけではないから、来てもらえる人は限られてくる。
でも、もし遊びに来てくれると3月の試写会(予定)まで極秘(?)で進めている「クラッシュボール」という映画がどんなものなのか・・分かるかもよ。っというか、この編集あり?っていう感じで心配になって見せちゃうのよね(笑)で、相手の反応によって一喜一憂したり・・・
いやー、なんて気の小さい監督なのでしょうかね。
November 16, 2003
11/15 ポスプロ打ち上げ
この前の日曜日(厳密には月曜日の朝・・泣)に、やっと100カット近いアニメが全て完成した。期間にして8ヶ月。ボランティアで働くには、あまりに長い期間だ。最後まで完成したことが、殆ど奇跡に近い。あまりに、長く、過酷な作業に最後のカットが夜明けとともに完成したときも、感動と言うより安堵の表情がスタッフの面々に浮かんでいた。
試行錯誤と、ダメだしを繰り返した4ヶ月間。やっと、夏休みに入った瞬間、家に帰ることをやめ作業場で寝泊りを始めた2ヶ月間。ゴールが見えたと思った瞬間、監督やスポンサーからダメだしの嵐が巻おこり、どこにゴールがあるのか分からなくなったこともあった1ヶ月間。まるで、蜃気楼のようなゴールを目指して走る砂漠のマラソン。ゴールの位置が確認できるようになったときは、タイムリミットが迫っていて平日、休日関係なしに学校(仕事場)とアニメ作業場を睡眠時間を削って行き来した最後の1ヶ月。アニメ班の方々、本当にお疲れ様でした。
また、編集のあっつん、CGの武田君も長い長い孤独な作業、お疲れ様でした。
と、なんとか映像面のポスプロが何とか終了し、僕の帰国を1週間前に控えた今日、ポスプロの打ち上げを二本松さんの御宅で開かせて頂いた。
ポスプロスタッフ以外にも、帰国を控えた僕やACの大輔さんのご挨拶の場も兼ねていたため集まったのは40人を超えていた。PKスタッフが現在、制作しているドキュメンタリーの上映などや、お互いこれからの事を話合うなど、とても充実した楽しい時間が過ごせたと思う。
で、昼間から始めたこの打ち上げ、撮影の打ち上げのときなどはこのまま2次会になり朝までモードになったのだが、今回は違った。一部スタッフは、そのまま飲み会に移ったようだが、僕は完成したアニメを作品に取り入れていく編集の最終段階が終了していないし、耕輔も字幕やその他多くの事柄を処理しなくてはならないため、すぐに帰宅。
さー、帰国まであと1週間。とっとと編集を終わらせ(ピクチャーロックしないと音響、音楽にまわせないのだ!)、帰国準備をしながら色調整をしなければならない。結局、映画が完成するまで僕に平安の日々は訪れないようだ・・・帰ったら、音楽のミックスが待ってるし。
追伸:帰り際に耕輔の家に寄ったら、アニメ班の面々が集まっていたので、2カット色の修正を出してきてしまいました・・全然、打ち上げじゃないじゃんね(笑)
November 18, 2003
11/18 大ピンチ!データが消えた・・
やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばーーい!女子高生風に言うと激ヤバ!
ポスプロの打ち上げパーティーのとき、皆がジョークで言ってた「編集したデータが消えたんだって?」っていうのが真実になってしまった・・・。普通に編集してて、ちょい再起動したら、ウインドウズ2000が立ち上がる直前、マトリックスのオープニングのように黒い画面に大量の白い文字が現れた。よくみると、なんかのデータ-を消しているらしい。「おー古いデータ-を捨ててるのね!」なんて、能天気に見てた。で、そのまま普通にウインドウズが起動したので、さー編集を始めようと思ってクラッシュボールHDを開いたら・・なんと!125GBあったのが31GBしかないのだ!で、開いてみると、今まで編集したデータ-が消えてるじゃないか!!大ピーンチ!
急いで純ペイちゃんに電話した。そういえば、3日くらい前バックアップを取っていたような・・・しかし、それが開ける保証はない。仮に開けたとしても、22日の帰国まであと、4日。この3日間の作業は確実に水の泡となっている。おい!どうする?人生最大のピンチだ!
って、ちなみにこの事件が起きたのは今から15分前。現在は、純ペイちゃんの到着を待っているところ。果たして、どうなるのか!
まー、非常に緊急事態なのだが、こんな事態をどこから「面白い」と思う日記なんぞを書いている僕もすげー。プロデューサーの耕輔に伝えたら、「笑えない」といいつつも、今度消えたらメイキング回しといて・・だって。今度、消えたらって・・・もう十分やばいのに。まー純平ちゃんがコンピューターを直してる姿で撮影しとくかな?
というわけで、次回どうなる?クラッシュボール!果たして12月1日に納品できるのだろうか?いやー、本編よりエキサイトかも!?でも、主人公にはなりたくねー・・・!
では、今後の動向を心して見守って欲しい。
November 19, 2003
11/19 大ピンチ2!データが消えた・・
さて、昨日お伝えした大ピンチについての続報である。昨夜、事態は更に悪化した・・・なんと、バックアップ用のハードディスクを繋いだ瞬間、同じ現象が起きたのである。
マトリックスのように、大量の文字がウインドウズの起動ともに起きたのである。急いで電源を引き抜く純ペイ。そして、次に起動しようとすると、コンピューターが立ち上がらないのである。そして、このバックアップ用ディスクを外すと、立ち上がると言う悲惨さ・・・。
バックアップまでも死ぬとは?ウイルスなのだろうか?しかし、ネコンピューター自体がウイルスに犯された形跡はない。何が問題なのだ・・・。僕と耕輔という、違う場所で起きたことからもコンピューター自体の問題ではなさそうだ。なんなんだ・・・分かっていることは、僕の3ヶ月くらいが水のあわになったということだ。
といって、アニメなどの素材は揃っているので頑張れば半月くらいで回復できると思うのだが・・それでも、同じような作業を、更に続けるのは辛い。さすがに、ブルーだ。で、チャットで皆に愚痴ると、CG担当の武ちゃんがHD修復ソフトなるものを教えてくれた。急いで試す。すると、消えたデータがスキャンされているようだ。しかし、全部スキャンし終わるのに35時間かかるらしい。しかも、全てが元に戻るとは限らない。あまりにデータ-が不足しているとプレミアのファイルが開かないため意味が無い。クソ-!一度書き出して置けばよかった・・・。
というわけで、事態は更に悪くなっている。そして、その最悪の事態の中で修復ソフトという本当にわずかな望みが小さく輝いているのだ。
いやー、さすがにチョい気落ちしてます。でも、まーどっちにしろ、やるしかないんだけどね。選択肢は、「前に進む」しかないから・・・
次号、ご期待! ハッピーエンドだといいな~(泣)
11/20 帰国2日前・・
純平の不眠不休のハードディスク復旧作業はまだ続いている。かなり、直ってきているようだが完全には程遠い。自分の中ではだいぶ開き直ってきている。まー荷造りをしなければいけないし、気を取り直して前に進むしかなさそうだ。それにしても、純平ほどではないが寝不足だ。
そんな折、僕が今月まで連載させてもらってる映画ファンの担当の岩下さんに、最後という事で昼ご飯をご馳走していただく。リトル東京のニューオーターに昼間から$30のランチ。7年間の留学生活の中でニューオータニで飯を食うのも初めてなら、$30のランチを食うのも初めて。岩下さん、ご馳走様でした。
帰る途中に、「マリリンに逢いたい」のすすきじゅんいち監督からお電話を頂く。以前より、石村さんを通じてAFMへの参加方法をご相談させて頂いていたので、そのことについて帰国前に直接お話を聞かせていただけるとのこと。荷造りに手惑い、夜も遅くなってしまった頃すずき監督のご自宅を耕輔と共に訪問。夜遅くの訪問にもかかわらず、すずき監督と女優で奥様の榊原るみさんに日本映画界の現状などのお話を伺う。これから日本で活動する僕にとっては大変有意義なお話だった。
家に戻ると、純平が相変わらずコンピューターに向かっている。画面には無数の0と1が・・・デジタルが0と1で出来ている事は知っていたがそのものを見るのは初めて。純平はついにマトリックスの世界に足を踏み入れたようだ。
どうなることやら・・・
11/21 送別会
朝起きると、純平は相変わらず寝ておらず昨晩と同じ様にコンピューターに向かっている。しかし、その顔には笑みが・・なんと、壊れてしまった映像ファイルを0と1のレベルから直したというではないか!恐るべし純平!!もう、カメアシやめてSEやるしかねー!だって調べたところによると、壊れたファイルをハードディスクから取り出すのを
業者に頼むと・・・今回のように100GB越えてるなら100万円近くかかるのだ。勢いに乗った純平は、時間の許す限りファイルの復旧に全力を尽くしてくれるそうだ。ということは、コンピューターをパッキングするのもギリギリか・・覚悟の上です。
夜は馴染みの台湾料理屋「日日香」を貸切?(貸し切らなくても、貸切になるんだけど・・)で、PKの皆が送別会を開いてくれた。マサさん、大樹(こいつは、撮影に来ただけね)と続いて、ついに僕も「日日香」
で送られる日がついに来たようだ。といっても、忙しすぎて感慨にふける時間が無い。送別会に来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。でも、そのあとそのメンバーはうちに流れ込んだ。帰る人の家で2次会って、あんまり聞かないよね(泣)まー、その辺が普通じゃない我PKメンバーなんだけどね。
皆さん、荷造りの励む僕を尻目に朝の4時までおおいに酒のんで盛り上がってくれました(笑)。
November 25, 2003
11/22 ついに7年間の留学に終止符!(急に制作日誌じゃないし・・)
結局、1時間しか寝られなかった!リビングでは、昨日の2次会で倒れた人が5人ほど・・我リビングには明け方を告げる小鳥のさえずりと共に寝息のアンサンブルが木霊している。
そんなか、純平が最後の力を振り絞ってバラしてくれたコンピューターを一つ一つ壊れないように、パッキングしトランクに詰める。本当に壊れないだろうか・・・といっても、手荷物はすでに一杯だ。運を天に任せるしかないようだ。
11時には空港に到着する必要があるので、10時にリビング組に起きてもらい荷物を車に運ぶのを手伝ってもらう。ここにいる皆は、ありがたいことに僕を空港まで送ってくれるそうだ。
空港につくと、シーズンオフにも関わらず混雑が凄い。おいおい間に合うのかよ!と思いながら列に並ぶ。ここに来る途中に、優子とチカに会った。彼女達も見送りに来てくれたのだ。
しかし、来てくれたのは彼女達だけではなかった・・トランクを預け2階のマックに行くと 昨夜、遅くまで飲んでいたはずの面々が僕の見送りのために集まってくれていたのだ。これには、サプライズ!皆、朝起きるの辛かっただろうに・・・。ん、ということは、先に出会ってしまった優子達は・・単なる失敗ジャン。まー彼女らしいといえば彼女らしい・・
その他、僕が皆に会ったあとに、トイレから戻ってきた自分がサプライズした真理子など最後の最後まで、それぞれ自分のキャラを表現してくれた・・・(笑)
で、またしても感慨にふけるまもなく飛行機に乗り込んだのであった。7年間の留学を終え、飛行機の窓からLA空港を見つめると、自然に目頭が熱くなる・・じゃなくて、まぶたが重くなった。で、気が付くと飯の時間・・うーん、最後の最後まで全然、感慨にふけらないな。っていうか余裕がねー!帰ってやることは、決まっているしね。
ただ、毎日のように会っていたPKの中間達といつものように会えなくなる事を思うと、ホッとする・・じゃなくて寂しい気はする。でも、まー皆、映画の仲間なのでお互い頑張っていれば嫌でも会うしね。この業界狭いし・・・。
そんなわけで、僕の7年間の留学生活に一応の終止符が打たれた。
でも、実感としてはクラッシュボールが終わらないとあまり終わった気がしないね。さて、疲れを取るまもなく明日から編集の続きをしなければならない。はぁ、なんかちょい休みたいなー。
November 23, 2003
データが消えた!、、、の顛末(この日記だけコンピューターを修復した菊池純平 作)
さて、引越しで時間のない中、大騒ぎしていたHDのデータ消失事件ですが、
プロジェクトファイルと重要なデータの復活に成功して、一段落ついたようです。
実際にいくつかのデータはそのままなくなってしまいましたが、オリジナルのテープが手元にありそこから修復できるので大丈夫です。
ひでさんに苦労してもらいましょう。
先ほど日本から彼の無事到着の連絡がありました。
結局、彼はいくつか忘れ物をしていったようなので、
みなさんに代わって突っ込んでおきました。
11/30 帰国してからの1週間
帰国から1週間がたった。戻ってきて、すぐに編集を再会するはずだったがLAの時と同じシステムを揃えるにはやはり時間が必要だった。帰国翌日、早速秋葉原に向かい
携帯電話とパソコンを組み立てるのに必要な電源ユニットなどを買い揃える。その後、クラッシュボールの音楽担当でありながらPK釣り部の部長(?)でもある、マサさんとマサさんの御家族とマネージャーのケイコさんと共に食事をする。
火曜日もスピーカーなどを買わねばならないうえに、実家にADSLを引くためにNTTと交渉したり部品を買ったりと、なかなかLA時代の編集環境を取り戻せず気持ちばかり焦る。
しかし、なんとか音が出るようになったので編集を開始。
金曜日。やっとADSL開通の工事がきた。LAにいる時から連絡していたのに、 家族が誰もネットについて分からないため結局、今日になってしまった。これで、やっと高速インターネットが・・・と思いきやモデムにアクセスするためのパスワードが届かない。電話しても「送ってるはずだが・・・郵送でしか教えられません」って、おい!耕輔からは必要な映像素材がUPされてるのに、これじゃー編集が進まないジャン(泣)。この夜、マサさんのマネージャーであるケイコさんの計らいで、「Voluntar
ぼらんたーる」 という雑誌の インタビューをメトロポリタンホテルでうける。スポンサーとの契約上、クラッシュボールの内容についてはあまり答えられなかったが、PKネットワークについては色々話させて貰った。1月5日に全国で発売されるそうなので、もし見かけたら立ち読みして欲しい。ちなみに、その次の号はマサさんである。
土曜日。父親が骨董品がYahooオークションで、いくらで落札された・・などなどと母親と共に騒いでいる。久々に実家で過ごして思う事は、うちの中が商売の話ばっかされていることだ。あー、こんな環境の中で育ってたから営業して映画作ろうなんて事になったんだ・・・と、自己分析などをしながら編集を続ける。
日曜日。大雨。結局、ブロードバンドが開通しないまま編集機材などをまとめてマサさんちにお引越し。コンピューターやらTV、DVデッキなどかなりのお引越しだ。しかも、雨だし・・・。で、この日はケイコさんがマサさんちに「宇宙刑事ギャバン」の漫画などを書いた、のなかみのる先生を連れてくる。マサさんの音楽とクラッシュボールの予告編を見ていただき、結構気に入ってもらえたようだ。と、まー僕が横浜の隣にある根岸のマサさん宅でやっと編集を始めようとした頃、実家にADSLのパスワードが届いたようだ。うーん、遅すぎる。これから、少なくともピクチャーロックするまでは、ここを出られないのに・・・
そして、軟禁状態にも似た編集生活が始まった。ちなみに、メールチェックや耕輔から素材をもらったり、逆に送る時は近所にあるマクドナルドに行って、無線LANをノート型パソコンにつなぐという方法しかないのだ。こうして、考えると映画製作はもちろん、情報のやりとりをメールで(LAと時差があるからね)行う僕は技術の世界に溺れすぎてる事を実感する。そういえば、最近携帯メール中毒の人が増えてるいるらしい。携帯を持たせないと心拍数が上がるという実験をTVでやっていた。結構、めんどくさがりなのでメール中毒には、ならなさそうだがネット中毒にはすでになってるかも・・・皆さん、気をつけましょう。
12/5 編集が終わる寸前の悪夢
うわぁああああああああああああ!ダメだ!このコンピューターおかしい。といっても、電源がつかないとか、フリーズするとか、そんな生優しいものじゃない。このコンピューターが鬼なのは、いきなり作業中のプロジェクトが消えるのだ。しかも、跡形もなく・・・
この事件が起きたのは、先日起こった編集データ抹消事件で無くなってしまったシーンをもう一度同じ様に編集し直すと言うクリエイティビィティー
のない作業(実は耐え切れず変えてしまったんだけどね)を80%終え、全部をつなげる準備をしていた時の事だった。プレミアで作業中、突如「XXXファイルが見つかりません」って表示されたのだ。「見つかりません」って、今開いて作業しとるやないか!(なぜか関西弁)で、動かそうとするとフリーズしてる。だから、プレミアを強制終了させたのだ。そして、もう一度今作業中のプレミアファイルを開こうとすると、「なに!」「どこいったー!」。今、作業してたファイルが跡形もなくなくなっているのだ。なぜだ!?消えたのは、編集がもっとも複雑だった、映画の導入部のシーン。これが消えたと言う事は、僕のマサさんちでの軟禁編集生活が無駄になるということではないか!しかもデータ―が消えたのは、これで2回目。さすがの僕も、2回同じことをするのは辛すぎる・・・
と、まー血の気が引いた事には変わらないのだが幸運な事に、消える2時間前にDVテープに落してあったのだ。もちろん、こまかい調整など変更はできないが、出来として満足しているものなのでそれを使う事でなんとかなった。しかし、これがもし他のバックアップをとっていないファイルだったら・・・ぎゃー!考えただけでも、ゾッとする。
というわけで、急いで他のもDVテープにバックアップをとった。もうハードディスクは信用できない。ていうか、前回の違うコンピューターで元とバックアップが同時に破壊された事といい、今回の事件と言い原因が分からないのだ。まるで、何者かがクラッシュボールの制作完了を阻止しようとしているかのような・・・それとも呪い?でも、ホラーじゃないしな・・・それとも前作の「闇の旋律」が無事に完成しすぎたから?などなど、訳のわからんことを考えているが結局のところ、何が起きようとも、この作品は完成させるという気持ち、いや覚悟とでも言うのだろうか・・それに変わりはないのだ。だって、僕の頭の中は、すでに完成後、どう公開するか?どう次回作につなげるか?など「クラッシュボールが完成する」という前提のもとに全てが計画されている。いや僕だけではない。プロデューサーを始め、この作品に関わった多くの人たちが、同じ事を考えている。いわば、スキーの時リフトで山に登って、降りる途中、骨を折ったり、頭を打ったりして、それでも下山しなきゃいけないようなもんだ。結局、どんな問題があっても下山しなければ病院にすらいけないのだ。もし、そこで諦めるなら、死ぬしかない。まー、別に「死ぬ」とまでは思っていないが、それくらいの覚悟がなければ1年もやってられない。
まー、そんな覚悟もあってか、本日全編の編集が完了。ピクチャーロックをして、本格的に音楽と音響、色調整にはいる。完成予定日まであと少し、かなり息切れしているが最後まで頑張らねば。
今日は、ピクチャーロック祝いとして1日だけ実家に戻ってきた。そして、やっとパスワードを打ち込みADSLが開通となったので久々に日記を更新した次第である。いやーブロードバンドっていいね。ネットしにマクドナルドに通うのはやっぱり大変。マサさんなんか常連になってるから、クーというジュースを頼むのに「いつもの」って言ってるけど・・・だって、毎日だもんね。
December 10, 2003
12/10 完成まであとちょっとブルー?
さて、今出来る事は大体終わったので実家に戻ってきた。この前のコラムでピクチャーロックしたと書いたが、なんかんだと小さな修正個所が出てきて結局、8日までは作業していた。というか、自分が直接やる仕事の大半が終ったので気が抜けたのか、マサさんちで熱がでて寝込んでたんだけどね。でも、その間、マサさんは凄い勢いで音楽を概ね完成させ、LAにいる大輔がつけた音響とミックスする作業に入った。この前から言っているがネット環境がないため、音響の修正個所などもすぐに出せないのが歯がゆい。また、俳優によるセリフの入れ替えもLAで早急にやってもらわなければいけないなど、まだまだやる事はたくさんあるが一応、形は見えてきた。
これは映画製作をする者なら誰でも共感してくれると思うが、この形が見えてきた 瞬間と言うのは「嬉しさ」というよりも「不安」が募る。実際、細かい粗ばかりが目に付くのだ。また今回は、様々な新しい試みをしているので、観客が納得してくれるのだろうか?などと不安の種は尽きない。と、いうことで少しブルー。しかし、同時に荒いなりにもオリジナリティー溢れる映像からは、この作品が巻き起こすであろう様々な可能性を予想する事は容易だ。「不安」と「希望」が入り混じった瞬間だ。
ただ、学生映画で制作した後に公開しない作品が多いのは、この期間に「不安」に負けてしまう人が多いからではないだろうか?確かに、この不安に負けそうになる気持ちも監督の立場としては理解できる。特に今はね・・・。でも、5年前に制作したホラー映画SCARは製作した瞬間、自分はもちろん、他の人も「怖くないホラー映画」。つまり、駄作と考えたにも関わらず、賞も頂いたし、資金も回収できた。現在のPKの基盤はまさにSCARによって築き上げられたと言っても過言ではない。いやー、それにしても作品に絶望していたのに、よくあそこまで広報活動を頑張ったなーと、昔の自分に少し感心(笑)
SCARの時は絶望からの宣伝活動だったけど、今回は少なくとも半分「希望」があるだけ良いと思う。でも、このことを考えたり、いろいろな監督のインタビューを読むにつけ、制作完了後、本当に満足している監督なんていないのではないだろうか?今でこそ、制作費があと10万円あれば・・・なんて、小さい事を言っているが、結局100億円あっても制作費が・・・なんてクリエイターは思っているのではないだろうか?そして、そんな不満があるからこそ、次回作を作るような気がする。と、いうことで少なくとも監督自信が「50%希望がある」と思っている作品が、その可能性をどう伸ばしていくか?それは、今後の営業及び宣伝活動にかかってくるのだ。
えー、じゃー制作完了後は営業かよ。はぁー。でも、LA部隊も着々と準備を進めているようなので頑張らねばならないようだ。とは、いいつつ制作直後に監督が自分でPRするのって辛いんだよな。そういえば、宮崎駿も同じ事言ってたなー。
休みたいぞーーー!
December 20, 2003
12/20 歓迎会してもらった!
さてさて、たまに東京の街に繰り出してみると、世の中はクリスマスだ、忘年会だととんでもない騒ぎになる。しかし、僕は相変わらずクラッシュボール【以降CRB】の編集だ、音響のチェックだ、字幕はまだか?などと家に閉じこもって作業を続けている。マサさんちでの作業が一段落ついたと思ったら、今度はしばらくCRBから遠ざかっていた大樹に少し客観的に見てもらい、更なる修正を行っているのだ。はぁ~、いつになったら終わるのやら。いやいや、終わりは「納品」という形で確実に迫っている。だから、今僕に出来るのはそのギリギリまで「作品の質を向上」させようと努力することのみだ。実際、僕はあまり客観的に見られなくなっているのが正直なところ(1年以上もやってるからね)だが、大樹を初めとする少し遠ざかっていた人や、初めて見た人からは、なかなか評判は良いようだ。でも、「良い」と思うと更に欲が出る。こうして、未だに編集作業が続いているのである。そういえば、去年の今ごろ必至になってこの作品の撮影をしていたなー。
と、まー帰国してもLAにいた頃と殆ど変わらない生活を送っているのだが、本日はいつもお世話になっている放送作家の鈴木さん、CRBの英語脚本制作をサポートしてくれたリサさん、気鋭のVJながらも最近、起業して若社長になったケンシンくん、元スタジオジブリでアニメ制作をしていて、CRBのアニメでは色々アドバイスをくれたりした糸曽くん、あとはマサさん、恵子さん、大樹、LAから来ているCRBスタッフのユウキくん、トシキくんなどが集まって、新宿で歓迎会をしてくれた。まー、何だかんだといって結局近い業界の人たちが集まってくれたようで、お互い更なるネットワーキングができて、刺激しあえたと思う。p>
特に、ケンシンくんは今回PKに仕事を振ってくれたのでとても感謝。歓迎会に行く直前にも、その仕事の担当の富樫ディレクターがLA時間では、まだ朝の4時だと言うのに「これからロケに行く」という連絡をしてきた。まー彼女はPKのエース監督なので、必ずやケンシンくんの役に立つだろう。といいつつ、LAチームが寒い中、頑張って撮影している頃ケンシンくんも含めた僕らはバカ話で盛り上がっていた・・・
それにしても。年齢も僕らと殆ど変わらないのに起業して(一応PKもなんちゃって起業だけど・・)、がんがん動く姿勢には本当に刺激をうける。そういえば、富樫D(ディレクター)が彼のWEBを見て「若いのに凄いねー【オバサン臭い】。ヒデさんと違って・・」って言いやがった。むかっ!俺だって、CRB終わったら動くぜ!・・って次回作?それともLAのPKチームへのお仕事をとるため?まーいいさ、大変な仕事取って来てあげるよ。(笑)
どちらにしろ、僕はCRBが終わらないことには何もできないのでした・・。あとチョッとだぜ!。
あ、そうそうUSCの先輩である庄司さんと春木さんがお忙しいのに顔を出してくれて、とても嬉しかったです。今度、時間ある時にでもゆっくりお話したいです。。
December 28, 2003
12/27 たくさんの出会いが!
あーー、忙しかったよん。クラッシュボールを26日に一度納品して少し落ち着いた今日この頃だが、この近辺は本当に忙しかった。編集もある事ながら、友人、知人の紹介が連鎖となって様々な方にお会いすることができた。これは、とても素晴らしい。「忙しい」
なんて愚痴ってはバチがあたるような環境である。 実際、この出会いの中で現在PKが出品しようとしているが、資金の問題のために危ぶまれていた「AFMへの出品」もサポートして頂けるという幸運にめぐり合った。
めぐり合いというのは、本当に不思議なもので僕がスポンサーへクラッシュボールを納品するためDVテープをβカムにダビングしなければいけない。しかし、業務用なので結構お金がかかる。と、言っても5000円くらいだが・・(それすら、ないのだ:泣)。そこで、何かのついでにマサさんのマネージャーに相談したのだ。そして、その方「O氏」を紹介して貰ったのだ。ダビングしている間、色々お話させて貰い、その中でAFMのことに触れたのだ。タダでダビングさせていただいた上に、AFMへの出品もサポートしてもらうと言う、ほんと図々しいよね・・・僕。
でも、これも音楽のマサチンが僕のことを前々から「O氏」に宣伝してくれていたからなのだ。さすが、マサチン。自分のこと以上に僕のことを宣伝してくれるなんて、他にいないよね。ほんと、感謝です。
他にも、色々な方のご協力を頂いて様々な出会いがありました。そして、面白そうなお話も、企画もたくさん頂きました。うーん、来年は今年以上に面白くなりそうな予感だ。また、同時に映像の狭さを実感するエピソードも経験した。まだ、日本に戻ってきた間もないですが大変さもあるけれど、なんだか興奮してきた。
けど、年末は少しお休みしますね♪ LAのPKの皆はスノボー行ったようだし・・けっ、俺も遊んでやる!
2004/2/26 AFM2004に挑戦!
行ってきました2004年AFM!いやー大変だった。 ここで、AFMを知らない方のために簡単にご説明しましょう。AFMとはアメリカンフィルムマーケットを短くしたもの。要するに、世界から集まった映画を売り買いする見本市だ。
そして、このAFMはカンヌ、イタリアのミフェに続く、世界には3大映画見本市の一つといわれるほど大きなイベントなのだ。サンタモニカにあるローズホテル全室を貸し切って行われるAFMのエキサイティングさといったら、一度行ったものでなければ味わえない興奮で満ちている。世界から集まったバイヤーたちが廊下を走り回る壮絶な姿を間近でみて、「バイヤーには絶対ならない」なんて思うほど大変な現場だった。学生の皆さん、もし本気でバイヤーになりたいと思ったら、まず体力が必要だよ(笑)。
特に、日本からのバイヤーの量はアメリカについで2番目に多く、かなり激しい競争を繰り広げているようだ。ちなみに日本の大手映画配給会社ギャガは昨年AFMで100億円分買ったという噂も・・。
まー、そんな熱い場所で僕が何をやってきたのかというと・・もちろん「売り」です。Planet Kids Entertainment
が満を持して送る長編映画CRUSHBALLを世界に向けて売りに出したのです。とは、言ってもこんな世界の見本市に出すほど予算のかかった映画ではありません。
確かに、見た目は負けてはいませんが・・多分、今回AFMに出品している作品の中で一番低予算の映画でしょう。おまけに、出品者の中で僕と耕介が一番貧乏なんじゃないかなー。この会場で掃除している人たちも含めて・・。
いや、マジで・・。 大体、AFMというのはプロ同士が札束を片手に真剣勝負する場なのだから、すべてがバブリーなほど高いのだ。要するに、金のないやつは来るな!ってことらしい。まず、驚くのが入場料。この会場に入るだけで、お一人様、$495(日本円にして約5万円)かかるのだ。おいおい、僕の家賃と同じだよ・・。
だから、今回は僕と耕介が参加しているので入場料だけで10万円くらいかかってる。で、これはあくまで入場料のみ。他に、作品を出品するためには文化祭のように教室、つまりホテルの部屋を借りるのだが、これには200万円弱かかる。
しかし、これを法外な値段と思うなかれ。映画が売れれば、そんなのはすぐに回収できるのだ。だから、ほとんどの会社は一部屋借りて、通常20本、多いところでは200本以上の作品を扱っている。そんな中、1本しか作品のないド貧乏な僕らが出品できたのは、経済産業庁の外郭団体であるJETROのおかげ。JETROについては去年の秋、僕が講演させてもらったときに少しお話したが、今回はその繋がりと「大企業への補助をやめて、中小企業の参加をサポートしよう」という、すばらしい改革のお陰で参加できたのだ。
ちなみに、JETROの支援を受けて参加した日本の企業は、東北新社、ガイナックス、バサラ&ミコット、そして今回、僕らの作品を中に入れてくれた、すずきじゅんいち監督(「マリリンに遭いたい」など)のイレブンアーツである。いやいや、中小企業たって日本では有名どころじゃないですか・・、そんな中、AFM初参加の僕らが何をしたかって?それは、次回更新をお楽しみに・・。
March 18, 2004
2/28 04 クラッシュボール試写会
スタッフ&キャストの皆さん、お待たせしました。やっと、やっとクラッシュボールを皆さんにお見せすることができます。いやー、長かったなー。20日間の撮影が終了したあと、「あー、やっと終わった」とか言ってたけど、メイキング的に言えば「この終了は、まだ製作の序章に過ぎなかった・・」なんてことになるんだろうね。あれから、アニメ作業に8ヶ月もかかって、結局完成までに1年と2ヶ月かかるなんて予想してなかったさ。
だから、皆に見てもらう日っていうのは、感動も一塩だよ・・ってなわけには監督としてはいかないんだよね。これだけ時間と皆さんの労力をかけてしまったわけだから・・しかも、ボランティアでしょ。むちゃ、緊張するって。完成後、いろんな有名プロデューサーだとか、バイヤー、著名人などなどに見てもらったけど、やはりスタッフに見てもらうのが一番緊張するね。だって、「おい、俺らはこんなクソ映画に時間費やしたのか!」なんて言われた日には、責任とれないもんね。
まー映画だから、好き嫌いはあったとしても、せめてスタッフやキャストには「あー、なんかいい仕事したな。いい経験したな」って思って欲しいし、それが僕にできる、せめてものお礼だからね。
というわけで、今回の試写会は諸事情ありまして、なっなんとワーナーブラザーズの立派な試写室で行われたのだ。
今回は関係者と招待客のみということで事前に登録してもらい、リストにある人しか入場できないようになっていた。いや、これは別に僕らが制限したんじゃないよ。天下のワーナーだけあってスタジオの入出には、空港のごとき厳重な警備がなされているのだ。しかも、写真撮影なども一切禁止。あまりの厳しさに、場内での撮影まで禁止されるとこだった。実際、カメラを持っていたら、「お前、この試写会を撮影していいっていう許可もらったのか?」って怖そうな警備員に言われて、びびりながらも「僕が許可したんだけど・・ダメ?一応、監督なので許可できると思うんだけど・・」なんて言う一幕もあった。
と、まー色々あったんだけど無事2回の試写会は終わり、スタッフ、キャスト、去年エミー賞を受賞されたメイクの大御所、佳織・ナラ・ターナーさんを始めとする招待客合わせて200名くらいが楽しんでくれたような。(そう願う・・)。で、まー一応、社交辞令なのかもしれないけど(あくまでネガティブだから・・)、一応、皆満足してくれたようでちょい安心。
でも、自分で改めて見てみると正直な話「おいおい、なんなんだよこの演出!演出してねーじゃん」みたいな突込みどころ満載で、恥ずかしすぎて穴があったら入りたいという感じだった。けど、こういう経験があるから製作完了直後は「当分、映画はつくりたくねー」なんて言ってるのに、すぐ次回作の準備はじめちゃうんだよね。え、じゃー僕の映画製作へのモチベーションて、恥ずかしい過去の作品へのリベンジなのか?うん、確かにそれは、かなりあると思う。
しかも、これ言うと誉めてくれた人から怒られるんだけど、「生まれてこの方、映画作って誉められたことないんだよね」。いや、本当は表面的には誉められてるんだろうけど、失礼な話、自分としては「嘘つけー、どうせ社交辞令だろ」なんて思ってて、後から思い出すと、悪い分を指摘されたことしか覚えてないんだよね。性格悪くてごめんなさい。でも、上映会直後とかに悪い感想言うと、傷つくから優しくしてね。と、まーわがまま書きまくってますけど、スタッフ、キャストの皆さん、本当にありがとうございました。
心の中で、実は「なんだこれ?」なんて思ってる方も、今回もかなり学びましたので次回で花開かせます。
そして、皆さんのご協力は忘れません。重ね重ね、ありがとうございました。 追伸:まー自分で自分の作品悪く言ってるけど、なんか微妙に世界8カ国からオファーきてるし、映画祭にも呼ばれてるし・・そんな、悪くないかもしれません。いや、耕介に言わせると、僕が一番低く評価してるそうです。でも、そんな、謙虚な姿勢が素敵でしょ?
(下は2次会の様子:40人以上来てくれました!)
March 25, 2004
3/25 04 近況報告 「捨てる神ありゃ拾う神あり」
すいません。AFMの続きを書こうと思ったんだけど他の雑誌に原稿を書かせてもらったり、報告書を書いている間に飽きてしまいました。
ということで、今回は日記に戻ります。
僕が帰国して早4ヶ月が経つ。なんていいながら、2週間はAFMのためにLAに戻っていたし、2ヶ月はクラッシュボールのポスプロやってたんで賞味1ヶ月ちょいかな・・。要するに賞味1ヶ月ちょい、僕は紛れもなく世に言うプー(無職)だ。でも、まー営業するプーなので時々、哀れに思った営業先の方に色々援助してもらったりして、なんとかやっている。
で、幸運にも現在次回作候補が3つ動いている。いや、実際には動いてはいないけど・・なんか、そういうお話はある。一つは、ある映画企画のコンテスト。これは次回作に僕が撮りたい「鬼」が第1次審査をとおったのだ。そして、本日2次審査を受けてきた。手ごたえとしては・・・駄目だー〔泣〕。10分とか制限されたことがプレッシャーになり不覚にも緊張してしまった。最近、人前で話すのに慣れたかな?なんて、少しは自信あったのに。あと、最初に「この賞は君みたいな人に取ってもらいたいから、人には興味あるけどストーリーが弱い」なんて言われて・・練りこみが足りなかったことに少し後悔したのがつまづきの原因だろうか?とはいえ、結果はまだ出ていないので、もし最終選考に残ったときのことを考えて、今から練りこむことにする。だって、賞取れなくたって、自分で資金集めて撮るんだから、こういう指摘は、ストーリーを更に練りこむ良いチャンスと捕らえてみるのさ!なんて、ちょい空元気だしたりしてる。
もう一つは、某大手電機通信会社のWEB用企画で、AFMから帰ってくるなり打ち合わして翌日、勉強会なるものに出席した。勉強会とは、通信会社の方々と僕らのようなアート系の人間が意見交換する場である。ただ、その会場となる、N総研の立派な会議室に通された時から、心臓ドキドキ。絶対、場違いな感じだ。しかも、先方の方々は大手企業の部長クラスの方ばかり。おいおい!僕の話なんかでいいのか!などと心の中で一人突っ込みしながら、勉強会は始まった。といっても、最初の30分は僕が一人で現在の日本で「映画などが進んでいくべき方向性」などについて話した。いやはや、頭の中にあるもの全部吐き出したって感じで、同席した純平ちゃんが「よく、あれだけ話したね」って誉めたのか、あきれたのか・・。ほんと、脳神経全てを出し切って頑張ってしまった。あとで聞くと、皆さんになかなか良かったと言って貰えたので少しは安心だが、この企画もいつ動くのだろうか・・。最新情報だと6月らしいが・・。
で、最後に話すのはつい昨日、突如、ある大物プロデューサーから電話を頂いて出てきた企画。どうやら、クラッシュボールを気に入って下さったらしい。うーん、有難いことだ!そして、なんと、とある漫画を原作に今年中にクランクイン目指して映画を製作させて頂けるらしいのだ。詳細については、来週から打ち合わせが始まるとのこと。どうなるか分からないが、全力を尽くすのみさ。
あー、そうそう、もう一つ現在、また別のプロデューサーのもとでバンド映画のシノプシスを大樹が書いている。これも楽しそうなので是非動いてほしい。ただ、これの製作は早くても来年である。
このように、色々動いているのだが、結局のところ本当に形になるのはどれだか分からない。もちろん、成功するかどうかは僕の実力もあるだろうし、運もある。そして、こういう機会を与えてくれた方々は皆さん、すごく努力してらっしゃる。でも、「いつ動くのか?」「本当に完成するのか?」は誰にも分からないし。映画製作っていうのは、それほど大変なことなのだ。僕も、昔、「この企画やろう!」ってプロデューサーに言われて、それを信じて頑張ったのに結局何もならなかったという経験がある。そのときは、「なんだあいつ!」なんて思ったけど自分で資金集めから、製作し、売ることまで何回か経験した今では、その大変さが分かる。ただ、周辺のスタッフとかは「なんだ動かないじゃん」て思うかもしれない。実際、企画が動くことに期待する気持ちは分かる。だから、もしその期待が外れたら残念だ。もしかしたら、前の僕みたいに「なんだよ」って思うかもしれない。
でも、なんども言うが今の段階で僕と共に企画が形になるというのは大変なことだ。だから、今はチャンスを与えてくれる人、一人一人を信じながらも、それだけに頼らないで、そういったチャンスを常に発掘していくことが今僕がやるべきことなのかなと思う。だって、松下幸之助は今のパナソニックを立てる前に、いくつもの会社を潰してるし(しかも保証人が自殺したりしてる)、エジソンは「1%の閃きと99%の的外れ〔笑)」をしていたんだ。要するに、歴史上の偉人も結構「数打ちゃ当たる」的なことで天才の名を手に入れている人も多い。だから、きっと監督とかも同じなんだね。世に出るためには、いちいち一つ失敗したからって落ち込まないで、進むことが必要らしい。
うーん、それにしても最近、落ちたり上がったりの差が激しいな。「捨てる神ありゃ、拾う神あり」なんて、よく言ったものだ。別に、捨てられちゃーいないけど(笑)。強いて言えば、作品が完成した直後はは、ちょい繊細なアーちすとになってるかなってだけ。 以上、最近の報告でした。
2007年 久々にこの制作日誌を読み返して・・・
今回、この日記をUPするにあたってザッと読みましたが・・なんちゅーポジティブなんだ俺?って感じです。実は、AFMに行く前に、僕が一番尊敬する、ある大物プロデューサーにCRUSHBALLを見せたところ「君は何がやりたいんだ?残念ながら、途中で見るのをやめた・・」というメールを貰いました。
この1年以上の努力はなんだったのか?いや、それ以上にこの作品に必死で関わってくれたスタッフに申し訳がなく、落ちまくったのを覚えています。しかも、それが皆に完成したCRUSHBALLを見せにLAに行く朝でした。1人、成田空港で泣きそうになっていた・・いや?泣いたかな(笑)
これも、今でこそ言えるエピソードですが、そんな時によくこんな日記を書いていたものです。というか、書くしかなかった?けど、結局今の僕があるのは、この作品のお陰だし、この作品で多くの仲間と出会えたから今、映像業界でお仕事させて貰えているわけです。
なんか、感覚的にはボーっと生きているんですが意外と踏ん張るトコは踏ん張ってたんだな・・なんて思います。また、こういう日記を読み返して思うことは、僕はいつも「何かに期待している」みたいですね。「これがチャンスだ!」って毎回はしゃいでいるようです。で、あとから見るとチャンスでもなんでもなかったっていうのばかりで、痛い子になってますが・・楽しく生きているようで何よりです。まーこれからも、僕はなんか勘違いしながら生きていくのでしょうが皆さん温かい目で見守ってやってください。そのうち、本当のチャンスを掴むでしょうから。
2007年5月 伊藤秀隆
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